映画『ハーダー・ゼイ・カム』

PRODUCTION NOTES

ヴィンセント・マーティンという男

嘆いてなんかいられない。俺たちを苦しめているのは誰なのだ。
攻めてこいよ、テメエらこそが、やられるぜ。
生まれてから死ぬまで、ずっと押しつぶそうというのなら、俺は闘う。
やるならやってみろ、俺はもっと激しくやり返してやる

― 映画『ハーダー・ゼイ・カム』より


警官を殺し、砂浜で蜂の巣にされるまでの半年間、男は町を駆け、山に籠った―。

男の名前はヴィンセント・マーティン。別名「ライジン」。あるいは「真夜中の大将」。「勇肌(いさみはだ)のアラン」とも男は名乗った。「義理」も「人情」もなく、始終喧嘩腰で容赦がない。やられたら否応なくやりかえす。ライジンはこんな悪党だったと言われている。
この実在したマーティンが警官隊に射殺されたのは1948(昭和23)年のこと。24年後、彼の短い人生を下敷きにしたある映画が製作される。それがこの『ハーダー・ゼイ・カム』(1972年)である。
潤沢な予算をつぎ込んだハリウッド映画とは対照的に、『ハーダー・ゼイ・カム』は役者のほとんどを現地調達した低予算フィルムだった。しかし、何も着飾ることのないこの生々しさが、逆にジャマイカ社会を、そしてその社会から生まれた「レゲエ・ミュージック」の素顔を見せつける事ともなった。
レゲエはカリブ海のジャマイカに生まれ、70年代の後半から世界の注目の的となった音楽である。『ハーダー・ゼイ・カム』はそのレゲエの勃興(ぼっこう)期をジャスト・ミートでとらえ、背後に隠れた奴隷制以来の黒人の苦悩と、これを跳ねのけようとするエネルギーとを描き出すことに成功した。
監督はジャマイカ生まれの白人、ペリー・ヘンゼル。彼はイギリスで育ち、テレビ・ドラマやCMの世界で活躍した後、故郷ジャマイカで初めて映画製作&監督に挑戦した。主人公アイヴァン役には既にジャマイカでは大スターになっていたジミー・クリフ。彼は音楽担当も兼任し、彼が歌った主題歌「ハーダー・ゼイ・カム」も、この映画にぴったりの曲であり、小気味良く、引き締まったバックの演奏に合わせ、高音ですらりと伸びるクリフの声が的確に言葉をリズムに乗せてゆく。主題歌「ハーダー・ゼイ・カム」は、そんな新しい音楽の登場を告げた1曲だった。

『ハーダー・ゼイ・カム』という伝説

劇場を3,000人の人々が取り囲んでいた。
彼らは映画を観ようとドアを突き破ろうとしたんだな。
劇場は工場用の金属フェンスで囲まれていたんだが、
公開の翌日に我々が行ってみると、
フェンスは地面にぺしゃんこになってたよ。

―1998年 ペリー・ヘンゼル監督


映画『ハーダー・ゼイ・カム』がキングストンで公開された時の様子である。『ハーダー・ゼイ・カム』は、ジャマイカで初めて自国の姿を描いた作品だった。ヘンゼル監督はこの映画を「ジャマイカと、いたるところにあるスラムの住人のために作った」と語っている。読み書きのできない、カリブやブラジル、アフリカなどの人たちのために、とも言う(ヘンゼルは、カリブ海生まれのオランダ系白人)。
キングストンの劇場には、そんな人々が押しかけたのである。しかしメディアの前評判はさっぱりだった。ジャマイカの姿、ジャマイカ音楽なんぞに何の価値があるのだ、と思われていた時代だった。ジャマイカでの公開は先の一館のみであり、欧米での受け入れもすこぶる悪かった。

言葉(口コミ)だけが旅をしたようなもんだろう。
新聞もまったくサポートしてくれなかったし、
誰一人としてこの映画に期待などしていなかった。

そんな映画が、次第に世界的なカルト的支持を得て行った。アメリカ、ヨーロッパで7年間に亘る超ロング・ランを記録し、日本でも1978年4月、渋谷パルコ・シネマ・プラセットでの劇場公開時には、映画監督の長谷川和彦氏、作家の村上龍氏、歌手の忌野清志郎氏、上田正樹氏などがコメントを寄せた。
マニラの「スモーキー・マウンテン」を彷彿とさせるような大スラム、そして熱く照りつける太陽。ダイナミックな音楽(レゲエ)と、活気ある人々が次々とスクリーンに飛び出してくる。二挺拳銃でポーズを取る主人公の"チープな"カッコよさ。睨みを効かせるアイバンの目が赤く充血しているのもとてもセクシーだった。

ジャマイカ初の映画

イギリスの植民地から実質的なアメリカの植民地へとなってしまった国、ジャマイカ。アメリカのラジオ番組を聞きながら、R&Bからスカ、ロック・ステディー、そしてレゲエを育てた国、ジャマイカ。カリブの楽園として、リゾート開発を行いながら、一歩街を出るとスラム街が広がる貧しい国、ジャマイカ。今では、ある程度常識となったジャマイカのもつイメージを世界中に広めた最初の作品が、この映画だった。
ジャマイカ初の劇場用映画として知られる『ハーダー・ゼイ・カム』の中に登場するリアルなキングストンの街並みをリアルに撮れたのは、やはりペリー・ヘンゼル監督がジャマイカ出身であった事と、彼の凄まじい作品への情熱があったからこそとも言える。
実際、この映画が完成した時、出演していた俳優が二人も射殺されてこの世を去っていたというエピソードも語られており、当時のキングストン周辺のスラム街、シャンティ・タウンはとても危険な場所だった。
そんな街をとことんリアルに映し取ったことで、この映画は作りものではない「生きたジャマイカ」「生きたレゲエ」を描き出すことに成功した。あまりにリアルに描きすぎたため、犯罪を誘発する恐れありとして、劇場公開後、ジャマイカ政府はこの映画を上映禁止にしてしまったという。

ジミー・クリフとサントラ盤の魅力

この作品の映画としての成功は、ペリー・ヘンゼル監督の才能のみならず、主役のレゲエ・ミュージシャン、ジミー・クリフの魅力抜きにあり得なかったのも確かである。この映画は10代前半でミュージシャンとしての活動を始めたジミー・クリフの半自伝的作品でもあった。だからこそ、映画の主人公アイヴァンは、彼の演技によって生き生きとした生命力を持ちうることができたのである。特に作品中、主人公が中国人エンジニアのもつスタジオでレコーディングのチャンスを得るという逸話は、ジミーがデビューした時の出来事そのままで、バイロン・リーというダイナミック・サウンド・スタジオの主催者をモデルにしているという。
この映画のサントラ盤の聴き応えも十分で、ジミー・クリフの唄う"You Can Get It If You Really Want"、"The Harder They Come"の2曲はもちろんのこと、リンダ・ロンシュタットら数多くのアーティストたちにカヴァーされている名曲「遙かなる河(Many Rivers To Cross)」、スリー・ドッグ・ナイトがカヴァーした"Sitting In Limbo"、劇中にも録音風景が登場する初期レゲエの人気バンド、メイタルズの名曲"Sweet And Dandy"、"Pressure Drop"、これも有名なメロディアンズの「バビロン川のほとりで(Rivers Of Babylon)」など、素晴らしいアルバムになっている。
小さな貧しい国で生まれた不思議なリズム「レゲエ」は、今や世界中のポピュラー音楽にとって、なくてはならない存在となった。その原点はこの映画にある、と言っても大袈裟では無い程に映画『ハーダー・ゼイ・カム』は重要な位置を占めている。この映画とボブ・マーリーの存在なくして、レゲエの世界進出は無かったとも言えよう。


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